私的メモ 「親密さの専制」「親密性の専制」

Sennet,Richard,[1974]1976,"The Fall of Public Man"(=[1991]2001,北山克彦・高階悟訳,『公共性の喪失』晶文社)

【セネット『公共性の喪失』結論 親密さの専制】pp467-471

「親密な専制」の二つのイメージ

  1. 小市民的日常生活(≒「閉所恐怖症」)
  2. ボヴァリー夫人」的警察国家、政治的破滅状態

どちらのイメージも間違っている。両者ともに野蛮で強圧的な専制という点で不十分。実際の専制はもっと微妙なものになり得る。

 

政治思想における「専制」=主権。専制≒主権≒支配は必ずしも野蛮な強圧を必要としない、誘惑によっても成り立つ。誘惑によって唯一の権威による支配を望むようになる。必ずしも君主が必要ではなく、制度が権威として君臨することもあれば、一つの信念が現実を測る唯一の基準となることもある。

 

親密さとは、普通の生活における一つの専制的支配。強制ではなく、複雑な現実社会を測るための一つの真理基準

「われわれはもっぱら個性の開示という点から制度や出来事を知的に理解するということではなく―というのも明らかにそうではないからであるが―むしろ制度や出来事のなかで働く個性、あるいはそれらを体現している個性を見分けられるときのみ、われわれは制度や出来事に関心をもつようになったということである」(p468)。

 

親密さとは一つの限られた視野、人間関係に寄せる期待。人間の経験を局所化し、直接的な生活環境に近いものを至上のものとする。局所化が支配的になるほど、親密な付き合いの障害となるものをとりのぞこうとする。そこで捜し求められているのは熱烈な種類の社交。しかし人々が近づけば近づくほど、この期待は行為によって裏切られる。

 

保守主義者の見方:人々が親密な出会いについて懐く期待は親密な関係を経験することで裏切られる。なぜなら「人間の本性」は内面において非常に病的、破壊的だから。

セネットの見方:親密な接触によって社交性にもたらされる失敗はむしろ長い歴史的経過の結果。その過程で人間性の条件そのものが、「個性(パーソナリティ)」に変えられてしまった。

 

歴史世俗的、資本主義的社会形成の最初の盛りにおいて社会を維持した微妙なバランスの浸食の歴史。公的生活と私的生活のバランス、人が情熱を注ぐことができた非個人的領域とまた別の情熱を注ぐことができた個人的領域のバランス。

 

この社会の地理は「自然な人間の性格」が人間に反映されているという人間性のイメージに支配されていたが19cに世俗主義と資本主義が新たな形態に達するにつれ、超越的な自然のイメージから、人間が自身の性格の創造者、決定者であるという信念に移り変わっていった。その内実は生活の不安定さと矛盾のためどのようなものか明確化ができない。個性の問題への着目はますます進展し、自我が社会関係を定義するようになっていった。それに伴い非個人的な意味・行動の公的領域は衰え始めた。

 

今日の社会:社会的な意味は個人の感情によって生み出されるという信念による公事(レス・プブリカ)の消滅を重荷として負っている。

この変化は社会の二つの領域を曖昧にしている。一つは権力の領域、もう一つは居住の領域。

 

権力に関する一般的理解:国家的・国際的利益、階級や民族集団の活動、地域或いは宗教の争い etc。

実際の理解:個性の文化が支配的になるほど、信用できる、高潔で、自制を示す候補者を選出する。

親密な規模での直接的な人間関係に対する信頼はわれわれをそそのかして、権力の現実についての理解を政治的行動の指針へと切り換えることを妨げてきたのである。その結果、支配する勢力ないし不公平は問題にされないまま居すわることになる(p470)。 

 真の人間関係は個性の個性への開示という信念は、都市のもろもろの目的についてのわれわれの理解を歪めた。

都市:非個人的生活の道具。人、利益、趣味の複雑性と多様性が社会経験として可能な鋳型。

非個人性への恐怖がその鋳型を破壊しつつある。例:ロンドンやニューヨークの「都会風の(アーベイン)」「文明的な(シヴィライズド)」生活への非難。多様性や文明的であることは金持ちのスノビズム

 

親密さによるこれら二つの専制、非個人的生活の現実と価値への二つの否定は、共通した相反する面を持っている。都市を改造すること、地方領主の鎖から脱却することは、政治的行動の原理を改造することでもある。人々が社会における自らの利益を追求できる限度が、非個人的に行動するようになる限度である。都市はその行動を教える教師でなくてはならず、他者を人間として知らねばという強迫的衝動なしに一緒にいることができる場でなくてはならない。しかしその文化的可能性は休眠状態である。